「宗教クライシス」「覚醒のネットワーク」「日本型システムの終焉」とかを書いている上田紀行さんの授業を大学時代に聞いて感動した。彼は昔に「癒し」という言葉をいち早く持ち出して癒しブームの起点となった人だ。
彼はアジアの宗教を研究している人で授業や本から学んだことはこんなことだ。癒しにつながるキーワードは人とのつながりであってそこを感じることが精神的な癒しにつながると言うようなことだ。たとえば、日本の宗教的な儀式(冠婚葬祭)にもそのことは現れていて喪が明けるまで外に出ないなどの事例は親族を失った喪失感を感じているところを無理に外部と接するよりも親族同士のつながりを深めるために習慣として葬式や喪があるということ。
そこからわかるのは人って何よりも人とのつながりを作ることが大切だということ。
そして誰もがそれを無しでは生きていけないこと。また、癒しへの架け橋であること。
これはどんな人にとっても根底となる衝動として持っているものであること。
いま、広告・マーケティングの仕事をしていて本当に楽しいと思うこと、SNSやUGCのようなものに未来を感じているのはまさにこういった人とのつながりを作り出す為の駆動装置としての役割を担う可能性があること。そして、そこに間接的に加担できること。そのことが社会人になるときに考えていたこと、「人を幸せにする仕事、仕組み、サービスを作り出すこと」をかなえられるのではないかと思えるのが面白いと思える理由でしょうか。
SEM-Analyticsの記事を読みながら思ったことをつらつらと・・・
デジタルのコミュニケーションはリアルなコミュニケーションの上に成り立っている
「リアルな(face-to-face)コミュニケーションを越えるものはない。他のコミュニケーション手法はリアルなコミュニケーションの物理的、心理的ハードルをコントロールするための手段でしかない。」
むかしは携帯もなかったときって彼女の家へ電話かけてたけどw
だから好きな人に近づくのって親とかの壁が・・・
これも心理的なハードルですかね(笑)
よりコミュニケーション領域でパーソナルな部分の距離がちじまってますよね。
その分ネットのほうが個が際立つのでおもしろい反面、近すぎると感じることも多いのではないのかと思う。もともとは家族とか何かの領域(?)に守られていたのがデジタルのコミュニケーションの登場で、ある意味むき出しになったのかも知れませんね。
その一方で面白いと言った理由はこういうことです。
たとえば、ニコニコ動画のようなツールは歌い手さんや絵師とか色んな分野の人たちがそこに色を加えていくんだからおもしろい。
そういう行為ってブログでトラックバックつけて意見を書き足していくのとあまり変わらなくて生み出されたものにハッとさせられるから楽しいと思うんです。
でもコレって、こうやって引用して付け足してトラックバックをつけていくブログの文化や、もっと戻ると掲示板に「>○○さん」と書いて会話していくことなんかにもつながっていくのでしょうね。
最近のゲームに関しても同じような傾向があるんじゃないかと。。。
特にモンスターハンターなんかいい例だと思います。みんなで集まってパーティーを組んでひとつのモンスターを狩りに行く。コレってモンスターハンターというゲームを媒介して(いや、ネタにして?)リアルにいろんな人と接することができるいわば合コンツール(?)みたいなものじゃないですか(笑)
実際に取引先の人達とモンスターハンター接待をしたこともありますし(笑)
まあ極論を言えば、昭和の時代にテレビを近所の人たちが取り囲んで力道山の試合をみんなで見て興奮したのと本質的にはあんまりかわんないんじゃなと思います。
結局、デジタルメディアもコミュニケーションを支えるツールであって、みんなの本質はあまり大きく変わっていない。コミュニケーションを円滑にするための「ネタ」が重要なんじゃないかな。
それぞれの人が持っている「ネタ」の収集場所と各自が持っている心理的ハードルが低いところへ「ネタ」として情報が流れるだけではないかと思います。
ゆえに50代の人(こういうくくりでいいのかわかりませんが・・・)のクチコミ(情報)流通フローと20代のそれは当然変わってくるって事ですよね。
なんか当たり前のことを書いてしまいましたが、今日はここまでで。。。
<追記>
そうすると、クチコミのための最初の投下の是非って広告かどうかでしか判断できないか・・・?
うむ。。。